福岡県久留米市発
出張型テニススクール
キッカケは最大の挫折
「全国大会出場」
それが私の「夢」だった。
関西の大学に通っていた4年生の春。
寒い冬が過ぎ、全国大会をかけた、私にとって人生最大の試合が近づいていた。
当時、関西から全国大会に行けるのは37人。
関西で第6シードだった私は、周りからは確実に行けると思われていた。
「大学最後のチャンス目前」
全国大会がかかった予選大会1ヵ月前、それは突然だった。
イップス(緊張から来る精神的病気)に発症。
得意だった両手バックハンドストロークが全く打てなくなった。
「全国大会をかけた当日の朝」
ラリーで両手バックハンドを打とうとしたら、ネットまで届かなかった。
しっかり振ろうと思ったらフェンスに直撃。
心臓の鼓動が速く、強くなった。
試合は、すべてスライスで誤魔化した。
当然通用する相手ではなく、私の「夢」が叶うことはなかった。
「今の自分のテニスはダメなんだ」
「感覚でやっていたから、こうなったんだ」
「もっと深くテニスを学びたい」
それが「テニスコーチになりたい」
と思った最初のキッカケだった。
「テニスをやめたい」
テニスコーチになってもイップスが治らない。
試合ではスライスしか打てない。
その頃にはサーブまで打てなくなっていた。
「練習では打てるのに、試合では打てない。」
心が折れ、テニス自体が嫌いになっていった。
「技術」が私に光をくれた
自分のテニスをすべて変える決意をした。
バックハンドは両手から片手に。
得意なフォアハンドも握り方から変えて、サーブもボレーも何もかも変えた。
基本を無視して、自分の感覚でしかやっていなかったテニスを理論的に研究した。
「何度も心が折れた」
それでも何度も挑戦した。
どれだけ非難されてもやり続けた。
挑戦を続けたある時。
真っ暗だった闇に光が差した。
本番でも打てるようになった。
すべての原因が分かるようになった。
「試合で思い通りのプレーができる!」
「深く苦しい沼を抜けた」
そして「夢」だった全国大会出場が叶い、その後「全国大会優勝」へと続いた。
技術が私を救ってくれた。
「悩んでいる人を救いたい」
コーチになったばかりの私は
「テニスが楽しい」そう思ってもらえたらうれしい。
そんな気持ちだけでやっていた。
しかし私は、指導法を変えた。
悩んでいる人を救いたい一心で。
今の指導法は、私のテニス人生20年すべてを詰め込んでいる。
試合に必要な戦術と、それに必要な技術。
「試合に勝ちたい」
「もっとうまくなりたい」
「苦手なショットを克服したい」
「怪我せず長くテニスがしたい」
そんな思いに寄り添いたい。
それが
「やひろテニススクール」
を設立した理由。
1人1人の意見を取り入れ、みんなの「夢」を叶えたい。
それが次の私の夢。
「あなたと一緒に
夢を叶えたい」
いつかあなたに会えるのを、楽しみにしています。